平成の大合併で稲武町も豊田市に合併され、豊田市は愛知の約1/3を占める巨大な市となった。そんな稲武町に夏焼城ガ山はある。
夏焼というのは地名で稲武町南側にも城ガ山があるため夏焼城ガ山と呼ばれているようだ。
この日は5時半に大学に集まり夏焼城ガ山に向かった。ナビでは2時間半くらいの予定だったが、1時間40分と案外すんなりと到着した。
今回は夏焼城ガ山北側の夏焼ルートから登る。駐車スペースは国道153号沿いにある喫茶「かりん」前にある道路の空き地に車を停める。
駐車スペースから153号沿って東に少し歩くと手すりがついた上へと続く道がある。まずはここを歩いていくとちょっとしたアスレチックが現れるので右へと続く道に入っていく。
少し山道っぽい道を歩くと再び広い道に出るのでここを右に進むと砂防ダムがあり、その手前から登り始めることになる。
砂防ダムから流れている水には温泉が含まれているのか、ほんのり硫黄臭かった。
まずはゆったりとした坂を歩いていく。しばらく歩くと分岐になり「お山様・行者様」の看板があったので寄ってみることにした。看板のある分岐を右に30m行くとお山様が祀ってあり、少し奥には行者様が鎮座していた。

行者様
もと来たルートに戻り山頂を目指す。ここから階段歩きとなり急斜面を登っていく。
尾根に出ていったん登りは落ち着くが、またすぐに急登が始まる。ここからはずっーと急な登りが続くことになる。坂は辛いが綺麗な薄紫色の花が咲いていて歩いていても楽しめる。

急坂をしばらく登っていると坂が終わり開けた場所に出る。今まで木漏れ日の下にいたが天気が良いだけあって陽射しが強い。
どうやらここは展望台のようで、恵那山・御岳山などの山々が見えるようであるが、この日は遠方が霞んでいたため残念ながら有名な山は確認できなかった。
ここから山頂はすぐだ。山頂に着くと中年グループの先客がいたが軽く挨拶を交わし休憩することにした。
山頂はけっこう広く、三角点、小屋、夏焼城跡がある。夏焼城に関する看板によると夏焼城は南北朝の争乱にまでさかのぼる。
南北朝の争乱は光明天皇(京都・北朝)と後醍醐天皇(吉野・南朝)による争いであるが、この頃、三河国における情勢は足利氏の所領が額田郡にあったところから、北朝方の勢力は西三河全域と東三河の一部に及ぶ広大な範囲にあった。本郡では富永荘に属する田口・田峰・振草・御殿・本郷・下川・園・三輪の地域がはじめの頃、北朝方であった。南朝方の情勢範囲は、加茂郡足助荘を中心とした地域で本郡の稲武・名倉・津具・豊根・富山がその勢力下ににあった。したがって、これらの地域には南朝関係の事蹟と称するものや伝説などが甚だ多い。
とのことだった。

山頂の様子
この他に興味をひいたものとして「つちのこ」の懸賞金の看板があったことだった。懸賞金300万ですからよかったら探してみてください!!
夏焼城ガ山は気軽に登れる高さでありながら、立地の良さから様々な山が望めるだけに違ったルートでも登ってみたいです。
<コースタイム>
登り 35分
下り 30分 |