伊木山にはかつて伊木城がそびえていた。伊木城は国宝である犬山城と今日登った城山にあった猿啄城とのつなぎの城として戦国時代には織田信長が美濃攻略の足がかりにしたとされます。また江戸時代には伊木氏が居城していました。
別名「夕暮れ富士」と言われ川面に映える山容をしています。
そんな伊木山を本日最後の山歩きの場にした。迫間山で予想外に時間を費やしてしまったため登りはじめた時にはすでに陽が傾き始めていた。
八木山から伊木山へは国道21号に出て東に車を走らせ鵜沼西町交差点を右折し道なりに進み突き当たるとそこが伊木山だ。T字路を右折しいこいの森の看板のところを左に入る。するといこいの広場へとつながる道に入るがこの日は生憎いこいの広場は休みで門が閉まっていたのでその前に車を停めた。
そこからとりあえず舗装路を歩いていく。すると階段がありその脇には伊木城跡の看板があった。その看板によると頂上には東西11m、南北8mの石垣台形があったようです。
その階段を登ると伊木の森の事務所の前に出ます。ここから左に少し行ってサイクルモノレール前が登山口です。
登山口にはまたもや伊木城跡の看板が建っていた。100mも歩かないうちにコースが分かれるが日の入まで時間もないので心臓破りのコースを歩くことにした。いどくんによると各務原市の小学生が研修みたいな事で使うようで心臓破りのコースは山登りというか散歩っぽい道だった。
歩くこと8分で早くも山頂到着。山頂に着いてまず目についたのが岐阜テレビとNHKの電波塔と三角点だった。
三角点の周りは薄い木で囲まれているため上からしか見ることはできなかったが、三角点を大切にしましょうには一等三角点と書いてあった。
あまりにすぐ着いてしまったため少し西側へ歩いていくと石碑があった。その石碑には震災記念碑、正一位秋柴神社などと書かれていたが何の震災なのかなどイマイチ謎だった。
熊野神社まで行こうかと思ったが太陽が木曽川に沈みつつあったので今日のところはやめた。 |